こんにちは。今回は自分の親が明日突然死んだらどうなるのか、を考えてみました。この記事は、一人暮らしをしていた父親を突然亡くした友人のことを考えながら、彼の父の死を少しでも無駄にしないためを思い、感じたことをまとめたものになります。
一人暮らしの親が急死したら第一発見者は誰になる?
僕は今29歳です。僕には父と母がいます。僕の父は、今回亡くなった友人の親父さんと同じく、現在一人暮らしをしています。なので、そんな一人暮らしの僕の父が亡くなった場合のことをまず考えてみます。僕の両親は色々なことがあった後に離婚をしました。両親本人たちがどう思っているかは知りませんが、僕は円満離婚ではなかったのじゃないかと思ってます。(間違っていたらごめんなさい。)その後二人は基本的に会わない・話さない関係になったようです。今父は、地元の実家で平和に一人暮らしをしています。母は同じ街で再婚相手と二人で暮らしています。
僕の父には再婚相手も、彼女も、毎週連絡を取り合うような親友なども僕の知る限りではいません。ですが、僕には姉がおり、姉は父の家の近くに住んでいます。毎週数回は会って散歩や食事に一緒に行っているそうです。姉はこうした何でもないことを一緒にする“ふり”をすることで、心配する素振りを見せずに、父のことを気にかけ見守ってくれているのだと、僕は勝手に捉えています。そんな姉に感謝です。今現在、父は重い病気も持たず、不自由なく生活をしています。そんな父がもし急病などで自宅で突然亡くなった場合、発見するのはおそらく僕の姉になるはずです。父の死後遅くとも数日中に、泣きじゃくった姉からラインで突然電話がかかって来るのだろうかな、と思うと今から心が痛みます。
「てか、父さんの宗教って?無宗教?火葬派?土葬派?」
もし急病で父がなくなると、遺書のようなものが、お通夜やお葬式までに都合よく見つかるとは限りません。
日本ではたくさんの人が、お葬式・葬儀と聞くと仏教系かつ火葬を考えていると思います。でも、僕は父が「お通夜→お葬式→火葬」といった典型的なやり方を望んでいるのかどうか知りません。
僕は本人のためにも、そして何より、残された者である僕自身の「自己満足」のためにも、父本人の希望にできるかぎり沿って葬儀をあげたいです。例えばもし仮に父の希望が土葬なのであれば、土葬をしてあげたいです。しかし、今の僕には父がどういった宗教観を持っているのか、どういった宗派なのか、どういった葬儀を希望しているのか、何もわかりません。でも僕の父なら希望と違う葬式になったとしても「ちゃんと式で泣いてくれたら何でもええで。」って雲の上から言ってくれそうな気はしています。
父さんのお葬式には誰を呼べばいいの?
仮にお葬式の方法を決められたとして、式には誰を招待すればいいのでしょうか?そしてまた、誰を招待しない方がいいのでしょうか?親友?(父に親友と呼べる人がいるのかは知りません。)会社の元同僚?趣味の活動仲間?名前や顔を知っていたとしても、具体的な連絡先を探し出すのは一苦労になりそうです。できれば父が生きている間に、父が親しくしている人たちの人間関係と連絡先はある程度知っておきたいものです。
葬式には離婚した母やその家族も呼ぶべきなのでしょうか?僕個人の、わがままな希望としては、子供時代を一緒に過ごした家族のメンバーは、みんなみーんな集まって欲しいです。では、母の再婚相手は呼ぶべきでしょうか?もしくは、母が再婚相手を連れて来たい、と言ったらどうするのがいいのでしょうか?僕には何が正解かは分かりません。「学校でこういうことを教えてくれたら、いくらか気が楽になったかもしれないのに!」なんて冗談も言いたくなります。
遺産?相続?寄付?
もし父が亡くなると、遺産に関する話もでてくるかと思います。日本の遺産相続の仕組みはある程度知っているつもりですが、実際に僕の父がどのような財産(もしくは負債)を、どれだけ持っているのかは教えてもらったことはありません。また父がそもそも財産を相続をしたいのか、それともどこかの団体に寄付をしたいのか、はたまた自治体に全て譲渡したいのか、なども教えてもらったことはありません。長い時間一緒に過ごした家族とはいえ、知らないことだらけなのだなあと改めて感じます。皆さんはどうでしょうか?
ちなみに僕の婚約者は既に両親と遺産や相続についての話を済ませており、生前相続の手続きを節税のため進めているいるそうです。
親の死について話すのはタブー?
この記事を書くにあたり、僕の婚約者と、「親の死について、親自身と面と向かい話すということ」について一緒に考えてみました。
僕と彼女は、「親の死」は本人の死ぬ間際に必要に迫られてするよりも、できるだけ早いうちにした方が良い、と思っています。個人的には、こういう話は、タブーにするよりも、親が健康で、意識もまだはっきりしてる間にしておきたいと考えています。一部の人は「遺書で十分」「そんなことは不謹慎だ」「自分の親が死ぬのを待ち望んでるかのようだ!」と感じるかもしれません。でも、皆さん御存知の通り、死というのはいずれ誰にでもやってくるものです。近年「終活(しゅうかつ)」という言葉が広く知られている、世界屈指の高齢化社会の現代日本。そんな終活の一貫として、こういった話を家族同士で気兼ねなくできる人がいても、そこまでおかしなことではないと僕は思います。
昔読んだとある終活関連の本では、「死は一生に一度の一大イベントです!」と絶妙な言い回しで書かれていました。もし死が人生に一度の一大イベントであるのであれば、できるだけ満足のいくように、可能な限りの準備をしたいところです。
また日本ではあまり知られていませんが、生前にお葬式(生前葬)をする人もいるそうです。
生前葬(せいぜんそう)とは、存命している人物が自分自身の葬儀を行うこと。
自らの生があるうちに縁のある人やお世話になった人を招いてお別れと礼を述べるために行なう人が多い。また、本来出席できないはずの自分の葬儀に喪主として参加することができるため、思い通りのやり方で行うことができる。そのため多くは、無宗教であったり、音楽やスライドなどを多用した明るい葬儀であったり、一般の葬儀とは異なるイベント的な葬儀となる。形式はカラオケ大会から立食パーティー、また、自費出版の自分史を配るなど、様々である。
生前葬 – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Living_funeral
耳にタコやろうけどあえて言わせて・・・。「家族の時間は大切。」
僕はこれまでの人生で、卒業や引越しなどをきっかけに自然に話さず、会わなくなる友達が何人もいました。ですが、親と子というのは、離れて住むことになっても、いつでも戻ってきて気軽に話せる特別な絆で結ばれた関係、だと僕は感じています。
ですが、そんな特別な親と子でさえにも、学生時代の友達とやってきたように、「じゃあね、バイバイ。」をしなければいけない日はやって来ます。
そんなモヤモヤした気持ちを少しでも晴らすための悪あがきとして、家族と過ごせる残り時間をおおまかに計算してみました。仮に今60歳の親が90歳まで生きるとします。年に合計10日間の帰省を僕がする場合、10日×30年間の、合計300日ほどしか、親と実際に会って一緒に過ごせる時間が残されていないことがわかります。二十歳頃まで毎日同じご飯を食べ、買い物に出かけ、テレビを見たり、時には喧嘩もした親達との他愛もない時間。実家から離れて暮らすようになり、そんな当たり前だったはずの時間が、いつの間にかそんなに当たり前ではなくなってきている事実に、しばしばハッとさせられます。
この記事を読んでくださっている人の中には、家族とそんなに仲が良くない人もいるとは思います。でももしあなたと家族が良い仲であるのなら、もしくはちょっとでも良い仲にしていきたいと思っているのであれば、それがどんな方法であれ、できるだけ悔いの無いように、限られた時間を過ごしてほしいと僕は思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。感想などあれば、是非コメント欄までお寄せください!
Comments
老若男女関係なく人はいつ死ぬか分からない。今を大事にこの瞬間を意識的に生きて逝きたい。
私も両親と彼らの死後の話をしてこなかったです。する事が怖いのかもしれない。思春期、両親の死を想像して朝まで眠れなかった日があったりもして、ちょっとしたトラウマになってるんかもね。
あの頃よりは少し大人になってるし心に余裕もあるから今度実家に帰省した時、ユーモアを交えて彼らと死後の話をして見ようかなと思った。
あとタカの姉ちゃん流石やね。