「できる範囲で頑張っている」という言葉について考える

多くの人が使っているのを耳にするこの言葉。「できる範囲で頑張っている。」一見ポジティブな響きですが、実際のところはどうなのでしょうか。今回はこの言葉について掘り下げて考えてみました。

この言葉がよく使われるのは、多くの場合何かダイエットやエクササイズなどの自分のコンフォートゾーン(居心地の良い状態)から少し出るような挑戦をしている時が多いかと思います。

では、この言葉の意味は何なのでしょうか?

文字通りの意味として考えられるのは、体、心、人間関係、金銭的安定等を壊さない範囲で現実的な努力をする、というような意味です。ではこの言葉は本当にそのような意味で使われているのでしょうか。

私の経験では、このような意味で使われていることはとても少ないように感じます。実際には、他人に自分の現状について何か言われた時に、「私はもう自分のできる範囲でやっているんだ。とやかく言わないでくれ。」という、他者からの意見を受け付けない拒絶的な言葉として使われていることが多いように感じます。何なら、全くできる範囲を目指していない場合でさえも「できる範囲で既にやっているんだ」と言い放つ人さえもいます。

  • 「私はエクササイズについて、できる範囲ですでに頑張っている」
  • 「私は健康的な食生活について、できる範囲ですでに頑張っている」
  • 「私はエコな生活について、できる範囲ですでに頑張っている」
  • 「私は英語の勉強について、できる範囲ですでに頑張っている」
  • 「私はキャリアアップについて、できる範囲ですでに頑張っている」
  • …他

ですがこんなにも都合良く、自身のできる最適な量の努力を既にしている、ということがあるのでしょうか?私はそんな偶然は少し考えにくいと思います。というより、そう考えるのはもったいなく、また非生産的なことだと思います。なぜならその考えを一度持ってしまうと、現状を改善しようという意思をとても持ちづらくなってしまうからです。

できる範囲だとあなたが何となく思っている範囲 ≠ 実は割とすぐに到達できる真のできる範囲

「何かをストイックに追求する」という類の事を言うと、「無茶をすること」と曲解してしまう方がいるのですが、私が薦めたいのはそういうことではもちろんありません。真のできる範囲というのは、取り返しのつかない体へのダメージや、心の負担を盲目的に負い無理をするという意味ではありません。常にどんなことにも、何かしら改善できる点があるかな、と一瞬でも考えて行動することです。

また「現状に満足をせず〇〇する」というような話をすると、これまた、いつまでたっても満足せず不幸でいるということなのか、と誤解する方がいるのですが、そういうことではもちろんありません。今という瞬間自体には満足しつつも、自分のできることを少しでも増やせないかを考えるというだけのことです。不幸である必要は全くありません。

あなたが仕事から疲れて帰ってきて望むのは、資格の勉強でもエクササイズでも健康的な食事をすることでもなく、ただソファーに座り自分の好きなYouTubeの動画をのんびりと観ることだけかもしれません。仕事で疲れた頭と体ではそうすることが、一見一番気分が良いような気がするというのは私も同意します。また、1日5分程度何かをしたところで一体何になるんだ、と思いたくなる気持ちも理解できます。ですが、10秒だけでも腕立て伏せはできないかな、10分だけでも英語の勉強はできないかな、と何か最小限でも良いからできることは無いか、を少しだけでも探してやってみることが大切だと私は考えています。

また、他人から何か意見を言われることに慣れていなければ、それは気分の良いものではありません。また、あなたが生活リズムを変えることが苦手な人であれば、尚更、変化を伴うアドバイスは、拒絶したくなるかと思います。しかし、だからと言って「できる範囲でもう頑張っている。」と言い放ち、話している人をシャットアウトするのはあまり良い反応ではないのではないでしょうか?

日本では「何事もほどほどが一番」「ゼロヒャク思考は良くない」といったような云わばバランス至上主義とでもいうような言葉もよく耳にします。もしバランスが必要なのであれば、バランスを取ることは良いとは私も思いますが、こういった言葉も、自分への甘さを許す為&提案へのシャットアウト&変化することへの拒否反応の道具として使われていることが多いように私は感じます。

私自身はこういったような言葉は、できる限り使わないようにしています。なぜなら私は、自身がこういった言葉を使うことをあまり信用していないからです。人というのは楽をするためなら「もう既に最大限で頑張っている」と自分に言い聞かせてしまうことができる生き物だ、とある程度考えているからです。もしかするとそれはヒトがこれまで進化してきた中で、体を壊してまで無理をしてしまわないようにできた仕組みなのかもしれません。ですが、この仕組みが時には自分の成長の妨げになることがあります。

こういった”便利”な都合の良い言葉で溢れる世の中。そんな中、私の考える大切なことは、常に一つ先には何があるのかを考えながら行動することだと思います。

仕事で疲れているから今日は何もせず休む→でも、5分だけは勉強できるかな?→とはいえ、休まないと体に悪いかな→3分だけやってみたけど以外に何ともなかったな→10分やってみたけど10分はやっぱりしんどいな。→毎日5分ならなんとかなるな。→ (以下略)

私はどうしても楽をしたいときは、「私はまだ改善の余地があるのは分かっているけれど、まだそれをできるほど完璧ではないです。」と素直に認めるようにしています。そして、本当に意識をして頑張っている時にだけ「できる範囲で頑張っている」と胸を張って言えるように心がけています。

About the Author(この記事を書いた人)
Taka

タカです。大阪生まれ大阪育ちで、アメリカの大学で芸術専攻で卒業。現在東京在住です。ものを作ること、体を動かすこと(パルクール)、哲学が好きです。趣味はウクレレ弾き語り、散歩、おしゃべりです。最近フランス語の勉強をしています。

Philosophy | 哲学
314

Comments

Copied title and URL