みなさん、こんにちは314のタカです。今日は最近気がついたコミュニケーションに関することについて書いてみました。
今回は「発言は悪い方に誤解/曲解されがちである」ということについてお話します。まず、「されがち」と書いているので、全ての発言が悪い方に解釈されるといっている訳ではないというのを最初に言及しておきます。ちなみになぜこれを言及するかというと、まさに今回の本題になっている通り、こう言わなければ悪い方に誤解・曲解し、「全ての発言が悪い方に取られるはずなんてないだろ!良い方に捉える人もいる!」と考えられる方も一部いるからです。またここで「“一部”いる」と書いているのも、単純に「いる」と言うと、これまた「全員がというわけではない!」と曲解される可能性があるからです。・・・と言った具合に僕の執筆する文章の半分ぐらいはこの「誤解」「曲解」を生まれないようにするために付け足しているだけで、実際に伝えたいことの中身ではないと言えます。
問題点1:良い方に誤解してくれる人なんてほぼいないと思った方が良い
そんな厄介な「誤解」ですが、僕としては誤解をすること自体はそんなに悪いことではないと考えています。単純に周りがうるさくて聞き取れなかった、聞き間違えた、言葉の意味を知らなかった、ということは誰にでもあります。しかしここで僕が気になるのは、人は何か不明瞭な内容に出くわすと、より良い方に「誤解」してくれることは残念ながら極端に少ないということです。
例えばあなたが誰かに「あなたはいつもゆっくり仕事をするね。」と普通のトーンで言った場合「ゆっくりと慎重に仕事をしていていいね」と言われた捉える人や、「どういう/良い悪いどっちの意味ですか?」と聞き返す人は少なく、「仕事が遅いと」と悪く捉える人の方が残念ながら多いです。人の脳は「損失回避バイアス」というバイアスに陥ることが度々あり、勝ちよりも負けを意識するという認知的な傾向があるとして知られているので、これはそのバイアスに起因すると考えられるかもしれません。
そうした人の心理的な傾向から考えられるのは、理解しにくい話し方をすればするほど、基本的には悪い方にあなたの発言が受け取られてしまう可能性が高くなります。逆を言えば、曲解誤解の余地を少なくすればするほど、誤解が原因で険悪なムードになるチャンスを低く出来ると考えられます。
問題点2:悪い方に誤解した人は多かれ少なかれ攻撃的になる
誤解の結果、悪い方に物事を解釈された場合、人は気分を損ねたり怒ったりと、何かしらの発言や行動に移すことがあります。このような誤解の結果気分を損ねて怒りを表現した人の中には「誤解されるような言い方をする方が悪い。何をされてもしょうがない。」と行動を正当化しようとする方々が一部にいます。(もちろん正当化せず謝る人もいますが。)僕個人的には、日常生活の中で怒りを発言や行動に出してしまうのは、どんな理由でも基本的には避けるべきだと思うのですが、多くの人は往々にして何か不機嫌になると行動に移すものだ、と考えておいても損は無いかと思います。
まとめ
まとめると、何か発言をする際は、出来る限り分かりやすく発言した方がスムーズな会話になると思います。ただし分かり易さや相手が攻撃的になることを恐れるばかりに、言いたい事を全部言わないのは、本末転倒だと僕は思います。本音はしっかりと言った上で、できる限り人の「誤解」から発生する攻撃性の引き金を引かないようにするのがあなた自身の為にも、聞き手の為にもなると思います。
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