「自分の欲に忠実に生きている」と言う人について考える

「自分は欲に忠実に生きている」と言っている人を一人ぐらいは見たことがあるのではないでしょうか?もしくは、あなた自身がそういう言葉を、普段から使っているかもしれません。今回はそんな「欲に忠実」である、ということについてじっくりと考えてみました。

まずこの言葉の文字通りの意味は何になるのでしょうか?それは簡単に言うと「自分が欲っしたことをする」というような意味になるかと思います。

では、世間ではこの言葉はそういった使われ方をされているのでしょうか。私の経験では、あまりそういう使われ方をされているようには見えません。この言葉は、簡単ではあるけれども長い目で見ると悪影響がある行い、を正当化するために言われている場合が多いように感じます。

例えば、甘いものや脂っこいものばかりを食べている人がいるとします。その人は「自分の欲に忠実に生きている」と言うかもしれません。ですがよく考えてみると、誰しも一時的な快楽よりも糖尿病や肥満とは無縁で、健康的な生活をより欲しているはずです。インスリンを注射する生活や、人工透析が必要になる生活をしてでも、そういった不健康な食生活をしたいです!、と迷いなく言える人は少ないかと思います。できるだけ健康でいたい、という欲は誰にでも強く存在するものだからです。

もし仮に、あなたが食生活と生活習慣病の関連性を全く知らなかったのであれば、ある程度の不健康な食生活をしてしまうことは、しょうがないかもしれません。ですが今日、食べるものと生活習慣病の関連は多くの人が聞いたことがあるか、頭のどこかでは自覚しているという人が大多数だと思います。

健康的な食生活だけでなく、色々な長期的な利点のある習慣や行動の多くは、最近ではネットやメディア等のおかげで、既に広く知られていることが多く、「知らなかった」を理由にできるケースはあまりないと考えられます。

ではなぜ人は「欲に素直に生きている」と言いたくなるのでしょうか?おそらくそれは、この言葉を言うと、一見すると今を思う存分生きているかのようで、聞こえが良いからだと思います。単に自分を律する自制心が弱かったり、部分的な欲しか見ることができていない自己の視野の狭さを、その言葉で美化できたような気がするから、だと言えるのではないでしょうか。とは言うものの、他人に自分の悪い行動をずばり指摘されると、耳が痛いものです。そう言った指摘を受けた時の耳の痛さを少しでも緩和するには、確かにこの言葉はとても都合が良いと思われます。

社会心理学的には、このような「考え」と「行動」の不一致がおきている状態のことを「認知的不協和」と呼びます。そして、ヒトはこの認知的不協和に陥った際に、ひどく不快感を感じます。その不快感から逃れるために、ヒトは、不一致に向き合い行動自体を改めるか、矛盾をしていても別に良いと軽視(trivialize)するか、もしくは頭の中にあった「考え」を書き換えるなどをして、一貫性を保とうとする傾向があると言われています。不健康な食生活のケースで例えると、「健康な食事をすべきだ」という考えと、「不健康な食事をしてしまっている」という行動との矛盾に気づいた時、行動を変えずに、「いや、私は欲に忠実に生きている素直なヒトなのだ。怠けているのではない。」「好きなものを食べないとストレスが溜まって逆に悪影響だ。」等と正当化することで不快感から逃れている、と説明することができます。

そもそも、この社会の風潮とも言える流れはどこから来ているのでしょうか?考えてみると、メディア等で自分の意見をズバズバと言い、多少の不摂生は気にしないキャラクターを「リアルで素直でかっこいい」というような描き方がされていることから来ている、と考えることもできるのではないでしょうか。またその一方で、自分を律することに注力する人達を「意識高い系」「極端な人」という言葉で一括りにして、鼻で笑うような風潮も見られます。(意識高い系と呼ばれてる全ての人が、良いというつもりも、悪いと言うつもりも私にはありませんが。)

こういった風潮は、自分の方が優れている時に他者を見下そうとする一部の傲慢な人達と、自分は時に他人よりも下になることもある、という事実を素直に認めない人達のせめぎ合いの中で、造られてきたのではないかと私は見ています。

「欲に素直」と主張する人の多くは「欲」というもののほんの一部しか見えていないことが多いように感じます。欲には自己顕示欲、食欲、性欲、睡眠欲など有名なもの以外にも、健康への欲、知識欲、愛されたい欲などなど様々なものがある、と自覚することが大切だと私は感じます。加えて、それらどんな欲であっても、達成すればあなたにしっかりと幸せを与えてくれる、ということも重要だと思います。

もしどうしても「欲に忠実だ」というような類の言葉をあなたがそれでも使いたいのであれば、あまり自己を美化するような使い方はせず、「私は△△をする方が良いとは知っているのですが、なかなか実践できないので、○○を今はしています。」という具合に正直に言う方が、素直であると私は思います。

最後に、私の考える本当に欲に忠実な人というのは、都合よく切り取った一部分の欲だけでなく、自分に心当たりのある全ての欲にしっかりと耳を傾け、それらを達成するために行動ができる人だと私は思います。

以上を踏まえた上で、みなさんは本当に自分の欲に忠実ですか?コメントをお待ちしています!

About the Author(この記事を書いた人)
Taka

タカです。大阪生まれ大阪育ちで、アメリカの大学で芸術専攻で卒業。現在東京在住です。ものを作ること、体を動かすこと(パルクール)、哲学が好きです。趣味はウクレレ弾き語り、散歩、おしゃべりです。最近フランス語の勉強をしています。

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Comments

  1. 京橋*Santa Monika says:

    「自分の欲に忠実に生きる」
    この言葉を使う大抵の人はそこまで深く考えず、一度きりの人生を欲に忠実に生きてハッピーに過ごせればええやん。
    くらいの気持ちで言っているんだと思う。
    ただ、彼らの中に「明日死んだとしても後悔しない」と強く言い切れる人はそこまでいないはず
    みんな、なんだかんだで死ぬのが怖いし少しでも長生きしたいと本能的に感じているはず
    生に対する執着が無く本当にいつ死んでも良いと思えてる人は「自分の欲に忠実に生きる」というこの言葉を使ってええんちゃうかな。(今のところそんな人、出会った事ないけど)

    「欲張り」ではなく「貪欲」でありたいなと私は思ってます。

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